2017/11/10

 秋のことをいつも見逃してしまいがちなので、私のなかの秋に繋がる心象のストックはほかの季節に比べて少ないように思う。例えば実りの秋とは言うけれど、私はどの季節の食材も好きであるし、別に秋だけが収穫を独り占めしているわけではない。ただ何となく赤く寂しい季節、それが私にとっての秋だ。

 街じゅうが赤茶に化けて息をひそめる準備をしている。アパートの窓から園庭が見える距離にある大きな神社も、足元は枯葉が芝を覆って、自分のスニーカーの白がひどく浮いている。低木の小さな葉が燃えるような赤に色づいて、背の高い、落雷で幹が割れた杉の深緑と見事な対照であった。神獣の像をあしらった石畳の橋を渡り、欅並木を横切って、ごつごつした小路をひそひそと進む。午後三時に日は傾く。ふいに雷鳴が轟いて、風が駆け抜けて枯葉をさらっていった。萎びた紫の紫陽花のふりをした雀が一斉に飛び立つ。あたたかい夕暮れを忘れられない雲が、その腹の裂け目からオレンジの光をこぼしていた。

(風が吹いただけなのに立ち尽くしてしまうようなとき、ヘルマン・ヘッセの『旋風』のを思い出す)

 あちこちの料理屋が仕込みをしているにおいがうっすら漂っている。葱をのせ放題のラーメン屋の裏を通ると香る薬味は、いつもよりも純な気がした。ビルのあいだの忘れられてしまった庭に鬼灯がうつむいている。季節外れの朝顔は街でいちばん鮮やかだった。