2012/11/04

アグリモニー


 ママが71回目の家出をしたというので、今夜はレトルトパウチのカレーにしようと声をかける。グリーンカレーの煤けたような緑とバナナスムージーの寝ぼけた黄色のことを考えているのだろう、彼女の生返事がフンンと鼻から抜けていく。
グリーンカレーにはバナナスムージーと決まったのはいつのことだろう。



 この街はいつも薄くけぶっている。雨の予報が出ていた。
 その切っ先でもって現代を少しだけ突き抜けて近未来の夢をみる、ガラスとコンクリートのビルディングがひしめく市街地は、硬質で冷たい四角で構成されていた。丹念に磨かれた窓ガラス、それらが隙なくはめ込まれた淡い銀のサッシ、それらが縦横に連なって、四角をひとまわり大きい四角が延々と囲んでいく。その連続がいきなり途絶えたところに、はじめて空がある。ビルとビルの隙間、鉄筋を込めたコンクリートのうちに取り込まれることを辛うじて逃れている空白を見つめていると発狂する者が現れたのはここ数年のことだ。ふと何気なく空を見上げてからみるみるうちに青ざめて叫び出す者もいれば、神経を尖らせながら空に目を遣っては逸らすといったことを繰り返すだけの者もいて、幻覚を訴えるケースもあって、それは年々増えているのだった。症状は多様であれど彼らが口を揃えて言うには、その自然のままの真っ青な空に何も無いことが怖ろしいということだった。






 鼻の頭を黒くした煙突掃除の少年が消えた代わりに、世界には煤けたねずみ色の建物が増えていった。どんなにからりと晴れた夏の昼間でも、見上げると青よりも灰色の割合が多い。夏になるとママは雨が降らないのに傘を差すので、空とビルの境目がわからなくなってしまったのだと思って彼女の不幸を嘆いたことがあった。僕をなだめながら「目に見えないものが降り注いでいるのよ」とママは言った。その傘は繊細なレースがあしらわれていてたいそう美しいものだったけれど、どうにも好きになれなかった。子どもの妙な反感を拭い去ることを待たずにその傘とはさよならをすることになる。雷が落ちてしまったのだ。十年に一度と言われたひどい嵐の晩、ベランダの真ん前のポプラの枝にぐしゃぐしゃに泥水を吸い込んだハンバーガーショップの紙袋が引っ掛かり、放っておけばいいのにママは傘の先でつついてどかそうとした。そこに雷が落ちてきたというわけだ。コミックのように、光のまたたきのなかで骸骨が浮かび上がることはなかったけれど、サロンで整えてもらったばかりの頭から煙が立って、アイロンで肘を焼いてしまった時の匂いがした。ママは淑やかな女性とは言い難かったけれど、それでもあんな金切り声をあげて狂人のように跳ね回るなんて。そのさまはそれはそれはひどいものだった。






 こうして高台から見下ろすと、確かな意志をもってこの街は作られているのだと思うことがある。僕たちには読み取れないやりかたで、倒れることのないジェンガを黙々と積み重ねているのは誰だろう。

 もう夕方の5時だった。濃くなり始めた霧がふもとの街を覆ってゆく。世界じゅうの水分が漂うことも出来ずに淀んでうねっているように見えて、雨季の黴臭さを思い出してちょっとばかり嫌な気分になる。皮膚にひび割れをもたらす冬も、熱にのせて水気を吸い上げてしまう空の夏でさえ、この街は夕暮れ時には必ず霧が出る。僕が知る限りではいちばんの年寄りである元教師の老人は、彼がうんと小さかった頃からそうなのであって、ちいっとも変わらないという。太陽と一緒に昼の温みが地平線の向こうに引けていって、入れ替わるように霧が浸み出してはあたりに満ちる。それは帰りの合図だった。霧に道を隠される前に家に帰らねばならなかった。



 僕たちの世界のなめらかな丸、キャンディとドーナツでいっぱいのガラスの器、個体に触覚が備わっていることが無意味に思えるようなそれら。



 彼女と夜中のダムに出かけた時のことを思い出す。つま先がほんの少し剥げた安物のゴム長靴を履いて、泥に足を取られまいと小走りで冷たい雨のなかを進んだ。僕と彼女だけが知っている秘密、いつか二人が冷たい土の下に埋められる時が来たら永遠に誰にも知られることのない秘密。何だって秘密とはこんなにもくすぐったいのか、歳をいくつ重ねてもわからない。いや、それを悟ったときに僕は死ぬのだと思う。彼女もだ。秘密の不可思議さを解いてしまったらもう命を許されるはずなどないから。


 僕は過去を愛していた。僕は僕の頭のなかの、僕のための美しい思い出だけを愛していた。
 そうして気付いた。私は夢を叶えてしまっていた。