東京はいつも少し気が張る。畏まった場に呼ばれたわけでもないのに、自分比150%の畏まり具合が必要な都市こと東京。あまりヘンテコな服はいけないと、タイトスカートにパンプスをよそ行きにすることが多いのだが、東京ならヘンテコでも薄まるんじゃないかと頭の片隅で考えることもある。それでも結局、新幹線の窓から見える景色から雪が去りつつあるのに比例して、気持ちが畏まる。
友人から贈られたブローチを身につけて、都会的なカフェで落ち合った。ブローチに気がつくと彼女は破顔し、いつものように私の全部を褒めてくれる。全部だ。
それなのに私は人を褒めるのが苦手なのだ。わざとらしくなってしまうから、何だか場がしらけるんじゃないかとか、社交辞令に思われてるんじゃないかとか、怯えが常にある。人と会った日の夜は、今日も全然何も伝えられなかった自分に失望することがあるくらいだ。でもこの日は、いくらか出来たように思う。
私のリクエストで行ったベトナム料理店は、かなり人通りの多い場所ながら落ち着いていて、メニューも豊富で良い所だった。ベトナム料理はアジアの他の国に比べて辛すぎないので、いくらでも食べられる。友人が頼んだココナッツジュースが、椰子の実に穴を開けたものだったのには驚いた。心がトロピカルだ(?)。
2日目はDIC川村記念美術館に行った。千葉県佐倉市のこの美術館は25年3月に閉めて、所蔵作品を減らした上で都内に移転するらしく、駆け込みの来館が大変増えているとのことだった。このとき八重洲に宿を取ったのだが、その八重洲から直通バスが出るというので計画を立てやすかった。
一度バス停の前を通り、2人しか居なかったので素通りしてコンビニで水と梅を購入して戻ったら10人くらいに増えていた。親切な方が事前にXで教えてくださった通りに、20分前には並んでおとなしく待っていると、列はどんどん伸びて向こうの信号まで繋がっちゃうんじゃないかと思うほどだった。最終的に大型バス2台に分乗して出発。
私が千葉県に足を踏み入れたのは中学校の修学旅行以来である。それもディズニーランドだ。親戚も住んでいる県なのに、千葉県のことをまるで知らない。1月の千葉県は春先の東北地方と景色が似ていた。
天気が良くて風もそれほどないので、ベンチやテラスでお弁当を食べたり、芝生に寝転がったりしている人もいた。おそらくモグラが開けたであろう芝生の穴がポツポツ確認できた。来館者増により、素敵な敷地内レストランは完全予約制になっていて、代わりにキッチンカー等が来てくれているらしい。この日はお弁当屋さんがいて、昼前に着いたのでゲットできた。この日はとにかく並んで早い者勝ちのことばかりをしている。彩りが綺麗でおいしかったし、手描きの献立イラストが添えられているのが良かった。
ロスコルームを目にして、Vanessa Carlton の『Afterglow』の歌詞を思い出していた 色が見える、暗い赤が…
建物も庭園もあんなに手入れが行き届いているのに、もったいないことだ。都内に縮小移転ということは全く別の美術館になってしまうのだろう。時々DICの社員の方も遊歩道を歩いてらして、グラウンドやテニスコートもあるし、きっと福利厚生の側面もあるのだろう。美術館として完成されたひとつの形態であると同時に、維持が難しいことも容易に想像できる。
いかにも都会的な、無機質な外観の洗練された美術館が悪いというわけではない。削ぎ落された中に囲われた収蔵品に美を見出すことはできる。でも私は美術館や博物館は豊かさと地続きであってほしいと祈っている。それは資本的な成功という意味ではなくて、豊饒さを抱えた何かである。世界が自分の手に負えないほど広いことなんて知っているのに、ずっと余白を探し続けている。死ぬまできっとそう。
帰りは東京駅直通ではなく、佐倉駅までの無料送迎バスを利用したが、これも満員だった。なんだか電車に乗ってみたい気分だったので、JR総武線に乗ってみる。まだ冬から目覚めきっていない、淡い芽吹きの郊外の街がコンクリートとガラスの迷路になって左から右へ流れてゆくのを眺めていた。
地元のビール屋さんに、両国におすすめのビールのお店があると聞いていたのを思い出し、両国で降りてみる。国技館にしか見えない建物があるし、スカイツリーにしか見えないタワーも見える。早い時間帯から開けている店で、人気店なので夕飯時には入れないこともままあるらしく、一番乗りでお邪魔してみた。遅れて常連らしい人や慣れた感じの人が席を埋め始める。すぐそばの国技館で行われている取組をテレビで観ながら、フィッシュアンドチップスなどをつまみながらビールをゴクゴク飲み干す。私は20時には帰宅していたいので、明るいうちから飲める飲食店があることが羨ましい。
外に出たら空が夢みたいな色をしていた。水色とピンクの水彩画に、東京の骨組みを貼り付けたみたいな、そんな空だった。