脳がインターネットに直結してるんじゃないかってくらい、毎日がインターネットすぎる。出かけても、家で休んでいても、インターネットだ。強制的に圏外に身を置くしかないが、現代における圏外はだいたいがエア圏外だ。以前に湯治で世話になった山の温泉宿も携帯の電波は入らず、公衆電話の設置まであった。だが今や冷蔵庫やケトルと同列に数えられる館内設備たるWiFiが存在してしまっていたので、いつものぐうたらに温泉が追加されただけの過ごし方をした。電波が好きなのに、電波から逃げたい。全部自分の頭の中だけで完結させたい。
 そして新潟へ旅に出た。
を日数以上に行うのが億劫なのと、帰宅の疑似体験をしたいから。ここが家だと思わせてほしいのだ。
 クルーズが旅客に対してのサービスなのに対し、フェリーは貨物輸送の性質が強めで、接岸したフェリーのお腹から大型トラックがドンドコ出てくるし、またドンドコ乗り込んでゆく。フェリーは自家用車やバイク、自転車の持ち込みも可能で、そういった乗客は車両に乗り込んだまま船のお腹に入ってゆく。徒歩で乗船するのが私ひとりだったようで、係員の方に直接声をかけられて船に誘われる。銀のタラップが朝日を反射して光っていた。
 出発2日前の会社の昼休みに突発的に予約をしたので、
1日目 8:30秋田出航、15:30新潟着、新潟市内のホテルに宿泊
2日目 終日観光、22:30フェリー新潟出航、フェリー個室泊
3日目 5:00秋田着
2日目のフェリー泊のように、夜間の航海は移動と宿泊が同時なので、旅費は抑えられた。ただし寄港地によっては早朝・夜遅めの発着で、規則正しい生活リズムの人には辛いかもしれない(自分のことだが)。私は乗り物酔いをしやすいのだが、船体が大きいほど船酔いはしづらいそうで、今回は特に問題なかった。さすがに就寝時には船体の音とわずかな揺れは気になったが、海の揺籠ということにして目を閉じていた。
往路は日中移動なので荷物置場の確保で十分とし、各ベッドに仕切りカーテンがあるドミトリー方式の部屋にした、が、閑散期なのか実質個室だった。部屋に一つだけの小さな窓から外をのぞくと、発ったばかりの港が遠く霧の中へ飲み込まれてようとしていた。ア、こうしている場合ではない、とにかく船を、海を、潮風をこの身に覚えさせるのだ。
まず私が探したのはデッキだった。屋外に出られることは事前にSNSで確認済みだ。しかし「強風のため」との注意書きとともに外への扉はどれも鎖で閉ざされている。外に出たい旨を乗組員の方に訊く勇気もなく、迷子になりながらもようやく船尾に重いドアを見つけた。切ったばかりの髪が荒々しく揉まれ、耳に風が吹き込み、鳥が螺旋階段を上るようにくるくると飛び上がっている影を追いかけて、踊るようにデッキに出た。天候は良好だが船のスピードが速いので、これは風の影響が最も小さいであろう船尾しか解放できまい。海と空の境目も曖昧なくらい遠くに本州や飛島、それに粟島の影がぼんやり浮かんでいる。島に渡航したことがないので、いつか訪れてみたいと思っている。周りを海に囲まれる気持ちってどんなだろう。
船内には無料のオーシャンビュー大浴場がある。ホテルの大浴場のような立派な設備で、ひとり貸し切り状態で大海原を眺めながら身体を温めた。ホカホカのご機嫌の状態でゲームコーナーでぷよぷよをプレイなどしてみる。筐体がかなり古いのでドットが粗く、またディスプレーの縁に丸みがあるせいで、ぷよの色の識別が難しい。色が重要なゲームであるにもかかわらずだ。オレンジを4つ揃えたと思ったら紫で、しかもじゃまぷよを大量に落とされて負けた。オレンジと紫の区別がつかないことある?怒って例の茶呑み骸骨を罵倒してしまったし、たぶん声に出ていた。
食堂や売店は常にオープンしているわけではなく、営業時間前に船内放送でお知らせをしてくれる。季節ごとに寄港地にちなんだメニューも出していて、そちらも非常に惹かれたが今回は日本海航路限定のイカ丼にした。本格的な盛り付けが美しく、イカは甘くておいしかった。学校の食堂のようにレーンを横移動して小鉢は自分でトレーに載せ、メインはスタッフさんに頼む形式だ。この小鉢も種類が豊富で迷ってしまう。こことは別に、要予約だがコース料理のレストランもある。
この船は始発が北海道なのだが、そこからずっと乗船しているであろう人もちらほら見かけた。基本的にインターネットが使えないので、サロンで読書をしている人が多い。(スマートフォンが完全に圏外になる瞬間は意外と少なくて、しかし非常に通信が遅く、圏外も変わらなかった)あと少し昔の映画の上映会もやってくれるので、穏やかに過ごしつつも退屈はしないのだろう。船は一番落ち着いた交通手段かもしれない。
そうこうしているうちに下船の時間が迫ってきた。港に近づくにつれ行き交う船の数も増える。船尾デッキで鳥の躍動するさまを鑑賞していると乗組員の方が作業を始めて、日本の国旗を設置した。紺瑠璃の海で日の丸が潮風にあおられてはためいている。あ、カモメが魚をくわえて仲間に見せびらかしてる。船は、自動車が車庫にバック駐車するのと同じように、港内でクルッとターンして船首を沖に向けて接岸する。乗組員が陸側の作業員に投げ渡したロープを係船柱に固定すると、船がミシンのボビンのようにロープを巻き取ることで岸壁にじりじり船体が近づいていく。作業員がサーッと退避したのを見て、『ガラスの仮面』でマヤが船のロープに足を取られて大変なことになった回を思い出した。
路線バスに乗って新潟駅へ。新潟駅は駅舎も駅ビルも新しく、大きな街なだけあっててとても立派だ。近隣の高校で運動会があったようで、運動着姿で連れ立って歩く学生たちが楽しそうだ。若者が楽しそうだと自分も機嫌が良くなってしまう歳になった。ホテルを予約するときに感じたのが、新潟市の宿泊料金は安いこと。どの部屋が当たるかわからんがお得ですよというプランにしたが、朝食付きで6,000円程だった。割り当てられた客室はみごとな窓一面の隣のビルの壁ビューで逆に笑ってしまったが、今回の旅はホカンス要素がないので問題ない。朝食は郷土料理がふんだんに用意され、おなじみ栃尾の油揚げにタレカツ巻き、のっぺ。小学校の給食に出ていたのっぺい汁って、もしかしてこれ?新潟は何を食べてもおいしく、特に栃尾の油揚げは居酒屋でも頂いた。
今回は船に乗ってみることが一番の目的であったので、観光スポットについては何も調べないまま来てしまった。歴史ある建物を見るのが好きなので、豪商の別荘であったという旧齋藤家別邸に向かうべく路線バスに乗り込む。旅先ではチャンスがあれば地元の路線バスを利用することにしていて、というのも路線バスはその土地の勉強になるのだ。バス路線は基本的に駅・病院・学校・役所を結ぶように設計されており、15分も乗ればそこで暮らしている人々の生活の輪郭をなぞることができる。車窓からいろいろな工夫も見ることができるし、似た歴史を持つ土地どうしでも違いを発見することがある。
旧斎藤家別邸では、解説員の方に勉強になる話をたくさん教えて頂いた。東京からお越しの男性と何となく一緒に話を聞く流れになり、3人それぞれの地元の話も交えて学びがある時間だった。建築も庭園も今なお手入れが込んでおり圧巻の一言。秋の紅葉が一番の見頃なのだそうだ。新潟市は意外と積雪がないので雪景色は非常にレアなんですな、ホラッ!と当時の写真も見せて頂いた。
 礼を述べて外に出ると6月らしくない日射しが強く降り注いでいた。ちょうど正午を告げる鐘がカトリック教会から響き渡り、鳥が一斉に飛び立っていった。この地域がおそらくかなりの高級住宅街と見え、
帰りのフェリーの出航時刻は22:30だが、飛行機と同じように港には1時間前に到着して待機していないといけない。私は基本的に早寝早起きなので、21時に外に出ていることがまずなく、あちこち動き回って体力も消耗したので19時頃には既に眠かった。その時間帯のフェリーターミナル直通のバスはなく、少し離れた停留所から土産でパンパンのリュックによろめきながら歩く。夜の港にまばゆい光を浴びる白く大きな船は、なんだか夢みたいだった。うっかりエーゲ海あたりまで行っちゃったりしないかな。旅の終わりはいつも悲しくなる。
22時過ぎに改札が始まり乗船した。復路は浴室とバルコニー付きの個室で、ホテルと変わりない設備に驚いた。すぐにシャワーを浴び、出発の汽笛とほぼ同時にバルコニーに出る。月がよく見える、晴れの夜だった。街の光から逃げるように暗闇に向かう船がかき分ける波が、月光に照らされて弱々しいきらめきを散らしている。明るくても暗くても、それは光には違いない。でもいつかはもっと巨大な光に追いつかれて焼かれてしまう。どうしてずっと夜じゃないんだろう…。
朝日が昇るのを見たかったので、4時に目覚ましを設定したが、3時には起きてしまった。誰もいないデッキに走り、陸の向こうから橙色が顔を出すのを見届けた。いつかこの朝日の続きを旅しようと決めた。