2011/08/29

カップの底

8月26日の夢

中国の奥地みたいな、うっかり大仏が彫られてそうな絶壁をツツッとひとすじ通る田舎の道路が封鎖されてしまい、何やらパトカーがひたすら走っている。止めたくても止められない、パトカーを止めるには謎々を解かねばならぬというので、人びとはその道路脇をうろつきながらウンウン唸って悩んでいた。謎々それ自体は忘れてしまったけれど、答えは「花」だった。



8月29日の夢

いわゆる明晰夢というやつだったけれど、それが夢だと気付いていることへの感動のない珍しい夢だった。私は知らない女子中学生のセーラー服と名札を盗んで身に付けており、彼女になり済ましているのだった。名札に記載されていた名前は3文字の漢字で、とても透き通った響きのものだったのに失念してしまって少し悔しい。
私は海辺の町をひとり歩いている。ゆるやかなカーブを描くガードレール沿いに高台の道路から、黒の瓦屋根の民家に柔らかな日射しが当たってきらきらしているのと、キイキイ鳴くかもめの群れを眺めていた。何故だか私にはそれが夢なのだとわかっていたし、目が覚めてしまう前にしなければならないことがあった。神社の境内に置きっ放しの、いま流行りの小さなタイヤで、メタリックなネイビーに塗装された自転車を見つけなければいけなかった。手のひらに自転車の鍵を握りしめているので、鉄臭くなることを気にしていた。防波堤やテトラポットをぼんやり眺めながら、歩道がないので仕方なく車道の端に寄って坂道を下っているうちに、自分が随分と歩くのが遅いことに気付く。私は左手に淡い紫の風船を持っていて、どうもこの風船が相当に浮力が強いようで、こいつに引っ張られるために前進が鈍くなってしまうらしかった。自転車を見つけ出す前に夢が覚めるのを恐れていた私は風船の紐をガードレールにくくり付けて放って歩き出す。ここからが曖昧なのだけど、無事に神社に辿り着いた私は自転車に鍵を差し、開けた。カチリという音とともに夢は消えて朝が来た。その海辺の町が母の住む町の景色だというのに気付いたのは少しあとのことだった。