9月30日の夢
私は叔母と二人暮らしだった。この叔母というのが大変な資産家であるために、彼女も私も働く必要がなく思い思いに過ごしている。叔母は明るく社交的なひとでパーティーを開いたりパーティーに出かけたりする一方で、私は部屋にこもって読書や映画やパソコンを楽しんでいる。叔母が家でパーティーを催した日には、私はその華やかさが苦手であるので自室に鍵をかけてひたすらに本を読んでいる。それはいつもの純粋な趣味としての行動ではなく、それが自分に課された義務であるかのように、社交を避けるに値する理由なのだと言い聞かせているだけの居心地の悪い時間だった。そこに愉しさはなく、目が文字を追っているだけで頭には入っていない。そして時折ゴーストホワイトの目の荒いカーテンをちらりとめくり、賑やかな輪の中心にいる叔母を遠くから眺めている。
彼女はエドはるみによく似た顔立ちをしていて、ただ胴がいささか肥えすぎていて、胸元からへそのあたりまで、内臓に何かを詰め込んだように膨らんでいるのだった。何故か私は夢のなかで彼女の腹にはセージとミントの葉がみっちりと詰まっているのだと思い込んでいた。ところで、『ディスコ』というジェラール・ドパルデューが踊っちゃう映画があるのだけど、そのドパルデューの家とよく似た家に私たちは住んでいた。高台から海に向かって急な傾斜をつけて下るダイナミックなその土地は、所々に石段があって、建物や道路などほとんどが白なので夏の昼など眩しいのだろうなあと思っていた。海が見える白亜の豪邸で、私はかびでも生えそうなくらいにじめじめと生きていた。
あるパーティの日も、いつものように私は自室にこもり、いつものようにカーテンをめくり賑やかな庭を見遣る。その日は趣向がいささか変わっていて、敷地内 の謎のボロ小屋の中で立食パーティーを行う模様だった。招かれた客は政財界の重鎮であったり、銀幕のスターであったり、叔母は何者なのかいよいよ謎の深まる面子であった。そのような顔触れを認めて私は気分がよくなり、誰それがシャンペンを煽っているなどとツイッターに実況さながら書き込み始める。現実では迷惑なことだなと思った。