2012/02/07

かぐわし

雨だれの跡がついたトタンや錆だらけの鉄板で出来た工場とスラム街のような所帯染みたあばら屋の連なり、そびえ立つのは丸みの削がれた硬質な灰色のビルディングたち。このちぐはぐさは私なりのレトロフューチャーだった。そしてそこは、真実、ゴーストタウンだった。というのも、街のほとんどは海に沈んでしまっていたから。かつて人間で賑わっていた下町にも、街を浸食した水中にも、生き物はひとつもいなかった。かろうじて空をまっすぐ貫いたままのビルディングやタワーの切っ先にたまに鳥が止まっては飛んでゆくだけだ。 

私はクジラの死体ハンターだった。水面上昇により海が陸地に手が届いてしまったとき、海の生物も思いがけず街へと流れ込んでしまったのだが、それらが海水に浸った街に定住することはなかった。廃工場あたりから有害物質でも漏れているのが原因なのでないかと思う。そこはいのちの空白だった。 
そんなところにもまれに迷い込む生物がいて、いっとう目立つのはクジラだ。私はこのクジラの死体を回収する仕事をしていた。クジラの死体などどうするのかというと、竜涎香、つまり脂は香料になるし、損傷が少なく状態が良ければ骨格標本としても売れる。知らせが入ると私は街へとボートを漕いで迷いクジラを探しに行く。

気持ちのよくない話で悪いが、水死体の内臓にはガスが発生するために水面に浮かぶというのを聞いたことがあると思う。この迷いクジラたちも同様にガスを内に抱えているのだが、いかんせん身体が大きく重いのでそうそう簡単には浮かんでは来ない。そんなとき私は満月の夜がやって来るまでクジラを海の底に沈めたままにしておく。満月の夜にはこのガスの浮力が増すということになっているからだった。

満月の夜、私は廃工場にクジラを回収しに出た。なまっちろい腹をわずかに膨らませているガスと月のおかげで海底からは浮いていたが、腐食のためにもげてしまって下まで届いていない階段に引っ掛かっていて、転がっていた鉄パイプでつつくとつっかえが外れてゆらゆらと上にのぼってゆく。あとはそのまま水面に向かって漂うだけだ。香料が採れるだけあって、さすがいい香りがしていた。半透明のトタン屋根から月の光が透けて、光線が水の揺らめきで歪んでいる。記憶の中の、まだ水泳ではなく水遊びのためのものであった頃の、夏休みのプール。淡い黄色や薄桃色がきらめいているさまを眺めながら、私は宮沢賢治の、クラムボンが笑ったよ、とかいうあの文章を思い出していた。小学校の教科書に載っているその作品のことを思うとき、私の頭には温かで控えめな色のセロハンがぼんやり浮かぶのだった。ひどく穏やかでやさしい夢だった。 

起きたあとで、月の光の淡い黄色や薄桃色はヤマナシの色なのだろうかと思った。