2012/06/23

ねじれに気付く前と後の世界の違いについて

私がまだ水着姿に恥じらいを持たないような子どもだったころ、足繁く通っていた隣町の温水プールに似ていた。曇りガラスの小さな窓からそっと射し込む光、幼い私には迷路のように感ぜられたロッカーの連なり、冷たい白のタイル。見た目だけでいえば『水の中のつぼみ』のプールがなかなか近いと思う。屋内プールであったから天気など気にせずに泳ぐことが出来るのだけど、そこでの記憶はいつも快晴とともにある。しかしそれは冴えた青空ではなく、当てすぎたライトが輪郭や細部をすっぽり飲み込んでしまったみたいに、ただ明度だけがそれを空たらしめている。プールの壁に張り巡らされたガラスの向こうの夏に比べて、真っ暗なプールで水遊びをするのが好きだった。いや、真っ暗なはずはないのだけれど、屋外/屋内のコントラストが記憶のなかで大げさになっているのだろう。私はこの無機質な温水プールの翳りをたいそう愛している。
私の過去の夏の空はハワイアンブルーではなくて、バターを溶かした牛乳の色をしていた。 

夢のなかで自分の状況を把握したころには、既に私は素っ裸でプールに肩まで浸かっていた。なぜ裸なのか、誰かに見咎められやしなかったのか、様々が疑問と羞恥がないまぜになって頭蓋のなかで沸騰しそうな気持ちになる。プールには人がいるので上がるわけにもいかず、私は隅に移動して体育座りのように丸まってやり過ごすことにした。何てことだろうと思いつつも、自分が最後のひとりになるまで待ち続けようとしたのだ。するとみるみるうちに空色が悪くなり、あっという間に鉛色の重たい雲に覆われてしまったのがガラス越しに見える。と、ボチャン、とプールに何ものかが落ちた。それが何なのか確かめる間もなく、それはドボドボと音を立てて次々降り注いでくる。拳ほどの石のようなそれは雹だった。客の悲鳴と雹が降る音、たまに人に当たる鈍い音がプールいっぱいに反響する。そんな混乱のなか、まばゆい光に一瞬静まりかえる。いま視界が天井に稲妻が走ったのがはっきりと見えた。室内なのにムチャクチャだ、と叫ぶ間もなく落雷の音と地鳴りが響き渡る。私はただ叫んでいた。息継ぎとおんなじくらいに苦しかった。