2012/11/28

輝かしさ





 手がかじかむので指先がうまく動かせないとか、鼻の頭が北風にさらされて赤くなってしまうとか、冬が連れてくる諸々の暮らしにくさ。それでもいざ雪の吹きすさぶのを見るとそういったことは何でもなくなってしまって、自然の前にただ頭を垂れるだけになる。冬に産み落とされた私はこうして冷たさに取り込まれているのが正しいのだったな、と思い出す。




 椎茸と角蒟蒻と里芋と高野豆腐の煮物、ピーマンの肉詰め、ミニハンバーグ、子持ちししゃも、セロリの浅漬け、沢庵、胡麻豆腐、白米、みかん

 ストーブに乗っけておいたやかんの湯を秋に買ったばかりのマグカップに注いで、コーンポタージュの顆粒が淡く溶けてゆくのを見つめていた。私はコーン粒の入ったタイプよりもクルトンが入ったポタージュのほうが好きで、ぐずぐずになったクルトンを舌の上で転がしてその穀物らしさを味わってうっとりとする。私は湯を注いだカップを掻き混ぜるということをしないので、底には必ず溶け切れずにいる粉がのったり横たわっている。私は最後にそれを指で掬って舐めるのが癖になってしまっている。こういうところがあるから、私はいつまでもひとりでいることから抜け出せずにいるのだ。



 右耳の奥からはまだタプンという水の音が聴こえる。何となく首を傾げたときにチャプリと跳ねるときがあれば、顔にかかった髪を除けるのに勢いよく頭蓋を振りかぶってピトンと鳴るときもある。昔に海水浴の土産にもらった、桃のシロップをミルクに垂らしたような風合いの巻貝を耳に当てたときでさえも、こんな音はしなかった。私は海を耳に湛えているのだ、くすくす、と障子戸を引いた薄暗い部屋でタオルケットに顔を埋めていたのが今日の午後だった。