2012/12/12
signs
嘔吐することがずいぶんと上手くなってしまった。胃袋と食道のあいだらへんの、触れられると途端に息が浅くなるあの際に内容物がたゆたっている感覚。ちゃぷちゃぷ、ときおり飛沫があがるさまを思い浮かべて、生理的な嫌悪感に丸飲みされて、しまいには吐瀉物と為る。数時間も前に食べたものが口に含む前とそれほど違わぬ形のまま出てくるのに驚くけれど、胃腸の働きの鈍さというより、私があまり咀嚼を熱心にしない性質であることのほうが大きな原因であるのだろう。少し気を抜くと、ひとつふたつ歯型がついた程度の食物をそのまま嚥下してしまうので、喉を塞いで私をグウッとさせる。
想像のなかで病院に診てもらった。医師は「胃から始まり内臓が人間を止めていってますねえ」と言い、何かしら将来を拓くようなよいことを考えなさいと告げて問診を終えた。
コンコン、ガリリ、ザザザ、という音が寝ぼけた青白い街を破く。油屋のおじさんがシャベルで地面の氷を砕いている音だった。障子戸をそうっと開けると、切先の塗装が剥げた鉄のシャベルで道路の氷を砕いているところだった。昨日は寒さが少し緩んでみぞれでびちゃびちゃになってしまったのが、夜の冷え込みでそのまま凍り付いてしまったのだろう、こうなるとたいへん滑って厄介なのだった。何か鋭いもので氷を砕き、削り、わきに退かさなければいけない。
油屋の朝は早い。いくら冬の太陽が怠慢であるからといっても、朝陽の昇る前から仕事をしているひとがいるというのにはいつも驚かされる。その油屋は私の住まうアパート脇の小路を挟んだ向こうにあって、毎朝大きなタンクローリーがやって来てはその背にいっぱいに灯油を積んでゆく。このとき地下から油を引き揚げているゴウウンという動力の音はとてもよく響くので、このせいで目を覚ますこともある。私は軽い調子で油屋などと呼んでいるが、離れた通り沿いにもう一軒店を構えていて、冬期の灯油配達の受付や暖房器具の販売などはそちらで扱っていて、こちらはあくまでも事務所兼灯油スタンドというふうらしい。冬になると私は18Lの赤いポリタンクを携えて灯油を買いにゆくのだが、この赤がよく目につくのか、従業員は私がドアに辿り着く数歩前に自ら飛び出してくる。
今朝もこの音で目が覚めた。雪明かりが障子紙を透けている。シャーベットというには粒の粗い、雪とも氷とも呼びがたいあれが夢のうえを擦れるように滑ってゆくので私は夢のことを思い出せない。あのこの音で目が覚めてしまうのならいくら鳴らされても構わない。定時に鳴らしてくれるなら無粋なアラームなどいらないくらいだ。