友情か?愛情か?関係性のあいだにこの問いが生じることによって初めて限界は生まれる。括り、区分、グループ。何らかの集団に含められることには、否応なしに順列の付与が行われ、二者の純粋な存在は許されない。関係に名前がつくというのは、そういうことなのだ。
ラブレター
誰より愛されることを望んでいるのではない。「私にしか許されない愛されかた、そして愛しかた」。ただふたりが存在して、そこにある。それだけのことが、なぜこんなにも難しいことか。外から押しつぶされて、破けた膜から溢れ出たシロップは、世界に希釈されて何ものでもなくなる――或いはありふれたものになる。とうに擦り切れた名を宛がわれた、もはやシロップの甘さなど微塵も残らぬもの。
初恋は実らないという。は-つ-こ-い というからには、他のあらゆる感情と区別された恋愛感情をそれとして認識、そう初めて認められた情念を指す。
「他のあらゆる感情と区別された」――これが初恋とは何たるかを語るにおいていっとう厄介なものだ。親愛、友情、憧憬、こういった類の気持ちに優劣などなく、おおむね好意をもって感ぜられる心情の一群は、ひとつひとうに名前があるのに、その実体ときたらひどく曖昧なものだ。名前という名の透過性の薄い膜に包まれた感情は、棘をひとさしするだけでたちまちに流れ出てしまう。
恋、友情、悲哀、厚意、憧憬、恋。甘いシロップも、苦いアルコールも、頼りない膜を破り漂い始めた途端に味を失う。
私たちはその名を愛しているかもしれなかった。関係に名前を点けなければ終わりなど来はしないから。