私が帰省の手段として電車でなくバスを選ぶのは、ここが荒い風の吹きつける街なので、空がウウッとうなるたび運休になるほどに頼りない電車をあてには出来ぬというのと、車両の独特のあのにおいと、マナーのよくない変な化粧の子どもを見たくないのと、何より海を見るためだった。線路も道路も海岸沿いに伸びているのでいずれにしても海は目に入るのだが、電車に乗ると海を背にして着席してしまうことがあるし、わざわざ後ろに首をねじるのも不審であるし、苦しい。
私は海を見て不安になるのが好きだ。岩を削らんとする荒々しい高波や、光の射すことのない濁った水の色、重く垂れこめた鈍い鉛色の雲。この情景の不穏なようすが心地よいのは、それが幾ら圧倒的な自然の暴力のにおいをさせていても、決して私に近寄ろうともしないからだろう。死がどんなに私のうちの宇宙を満たしていても、それはいつだってずっと遠いところにある。望もうとも手が届かないものへの天の邪鬼な安息だった。
時化の海の、水平線が灰色に滲んで、絶対的な世界のひとすじが解けたときの心のざわめきは甘美でさえある。実際はその境目がただ霧で紛れただけに過ぎないのであるが、海と空とが一体になったかのような、混沌にのまれてしまったようなあの感覚は眠りに落ちる2分前に少しだけ似ている。