2013/06/19




 日本海沿いを40分ほど電車で下り、さらに20分ほど住宅街を歩く。高校の通学路であったその道も、変わりないようでいて少しずつ何かが欠落したり、あるいは付け加えられたりを重ねて知らないものへ変容してゆく。毎日吠えたててきた気性の荒い犬は死んだのか姿を見ないし、パーマ屋の店先には蔦が這い放題だ。風景は記憶から巣立ってゆくものなのだ。



 幼い時分にはあんなにも果てしなく巨大な帝国であったここも、中規模の私立病院でしかないのだ。エレベーターの階数表示が3までしかないのはつまり3階建てだということだけれど、もっとあったような気がする、7階くらい。上4階を切り崩したわけはないし、切り崩されたのは私の記憶だというにすぎない。そしてその事実がたまにしくしくと痛む。

 外来と病棟の境目のことを思い浮かべるとき、埃っぽい踊り場に放っておかれた多肉植物の鉢植えがチカチカときらめく。象徴的な小窓から射す陽光、土色のリノリウムの反射と細かい傷の重なり、まるく浮かぶ焦点。あの鉢植えはいつからあそこに居るのだろう。私が初めてあそこに踏み入れたときから、もっとそれより前に、私が生まれるよりも後か先か、病院よりも前からじっとそこに居るような気さえしてくる。呪いのようだ。


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 備え付けのデスクに置かれた請求書を鞄に突っ込んで、また来るねと頬を撫でると、ぱちぱちと瞬きをして見せるので私は笑いながら病室を後にした。

 見舞った帰りは地元の図書館に寄るのが決まりになった。市内の他の図書館から持ち寄られたらしい、染みや手垢のついた本が背を上に整列させられて、ご自由にお持ち帰りくださいとある。古い本を開くと立ち昇るあの独特の臭気は、小学校の図書室(下に墓地が眠っているという噂があった)でかくれんぼをしていたときのことを思い出す。私は読書は好きだが決して多くを読もうとはせず、というよりは出来ず、多度読みが好きなのだった。そして私は少々思い込みがすぎる子どもであったので、他者との関わり合いから乖離した感傷やのかたまりをそれら紙に背負わせるところがあった。本を握った手から自分がどんどん過去へ加速してゆく感覚と、薄暗くいつも湿った緑のカーペット。あ、そうか、下に眠る墓場とはそういうことかしら。アガサ・クリスティと、竹中労のたまの本を持ち帰ることにしたので、午後からのサイクリングはやめにしよう。



 ハンバーガー屋に寄って、ポテトとナゲットを注文した。ソースはどちらに致しましょうかとの問いを私はいつも訊き返してしまう。いつもだ。訊かれるたびに耳にノイズがからんで上手に聴き取ることが出来ない。マスタードにしたが、粒入りでなかったのでちょっとがっかりした。