2025/07/03

6月の新潟

  脳がインターネットに直結してるんじゃないかってくらい、毎日がインターネットすぎる。出かけても、家で休んでいても、インターネットだ。強制的に圏外に身を置くしかないが、現代における圏外はだいたいがエア圏外だ。以前に湯治で世話になった山の温泉宿も携帯の電波は入らず、公衆電話の設置まであった。だが今や冷蔵庫やケトルと同列に数えられる館内設備たるWiFiが存在してしまっていたので、いつものぐうたらに温泉が追加されただけの過ごし方をした。電波が好きなのに、電波から逃げたい。全部自分の頭の中だけで完結させたい。

 そして新潟へ旅に出た。かねてより船に乗って移動がしたいと考えていて、しかし豪華客船クルーズを体験するには金も時間もなく、船旅入門編とばかりにフェリーに乗船してみたのだ。私の住む街の港にはおもに春から夏にかけて豪華絢爛なクルーズ船が寄港する。そこから県内の各観光地へのツアーバスが出ていたり、街に降り立って百貨店で買い物を楽しんだりしているらしい。朝に入港し、夕方に出港、夜の海を泳いでまた次の港へ。車椅子の高齢者の方がご家族と観光を楽しんでいるようすも見かける。飛行機や鉄道と違って荷物を運びながら移動する必要がなく、旅行中は同じ部屋に帰るわけだからパッキングと荷解きを繰り返すこともないのだ。私が旅行中に連泊したがるのは、パッキングーアンパッキングを日数以上に行うのが億劫なのと、帰宅の疑似体験をしたいから。ここが家だと思わせてほしいのだ。


 クルーズが旅客に対してのサービスなのに対し、フェリーは貨物輸送の性質が強めで、接岸したフェリーのお腹から大型トラックがドンドコ出てくるし、またドンドコ乗り込んでゆく。フェリーは自家用車やバイク、自転車の持ち込みも可能で、そういった乗客は車両に乗り込んだまま船のお腹に入ってゆく。徒歩で乗船するのが私ひとりだったようで、係員の方に直接声をかけられて船に誘われる。銀のタラップが朝日を反射して光っていた。


 出発2日前の会社の昼休みに突発的に予約をしたので、ほぼノープランである。大まかな旅程は以下の通り。


1日目 8:30秋田出航、15:30新潟着、新潟市内のホテルに宿泊

2日目 終日観光、22:30フェリー新潟出航、フェリー個室泊

3日目 5:00秋田


 2日目のフェリー泊のように、夜間の航海は移動と宿泊が同時なので、旅費は抑えられた。ただし寄港地によっては早朝・夜遅めの発着で、規則正しい生活リズムの人には辛いかもしれない(自分のことだが)。私は乗り物酔いをしやすいのだが、船体が大きいほど船酔いはしづらいそうで、今回は特に問題なかった。さすがに就寝時には船体の音とわずかな揺れは気になったが、海の揺籠ということにして目を閉じていた。


 往路は日中移動なので荷物置場の確保で十分とし、各ベッドに仕切りカーテンがあるドミトリー方式の部屋にした、が、閑散期なのか実質個室だった。部屋に一つだけの小さな窓から外をのぞくと、発ったばかりの港が遠く霧の中へ飲み込まれてようとしていた。ア、こうしている場合ではない、とにかく船を、海を、潮風をこの身に覚えさせるのだ。


 まず私が探したのはデッキだった。屋外に出られることは事前にSNSで確認済みだ。しかし「強風のため」との注意書きとともに外への扉はどれも鎖で閉ざされている。外に出たい旨を乗組員の方に訊く勇気もなく、迷子になりながらもようやく船尾に重いドアを見つけた。切ったばかりの髪が荒々しく揉まれ、耳に風が吹き込み、鳥が螺旋階段を上るようにくるくると飛び上がっている影を追いかけて、踊るようにデッキに出た。天候は良好だが船のスピードが速いので、これは風の影響が最も小さいであろう船尾しか解放できまい。海と空の境目も曖昧なくらい遠くに本州や飛島、それに粟島の影がぼんやり浮かんでいる。島に渡航したことがないので、いつか訪れてみたいと思っている。周りを海に囲まれる気持ちってどんなだろう。


 船内には無料のオーシャンビュー大浴場がある。ホテルの大浴場のような立派な設備で、ひとり貸し切り状態で大海原を眺めながら身体を温めた。ホカホカのご機嫌の状態でゲームコーナーでぷよぷよをプレイなどしてみる。筐体がかなり古いのでドットが粗く、またディスプレーの縁に丸みがあるせいで、ぷよの色の識別が難しい。色が重要なゲームであるにもかかわらずだ。オレンジを4つ揃えたと思ったら紫で、しかもじゃまぷよを大量に落とされて負けた。オレンジと紫の区別がつかないことある?怒って例の茶呑み骸骨を罵倒してしまったし、たぶん声に出ていた。


 食堂や売店は常にオープンしているわけではなく、営業時間前に船内放送でお知らせをしてくれる。季節ごとに寄港地にちなんだメニューも出していて、そちらも非常に惹かれたが今回は日本海航路限定のイカ丼にした。本格的な盛り付けが美しく、イカは甘くておいしかった。学校の食堂のようにレーンを横移動して小鉢は自分でトレーに載せ、メインはスタッフさんに頼む形式だ。この小鉢も種類が豊富で迷ってしまう。こことは別に、要予約だがコース料理のレストランもある。


 この船は始発が北海道なのだが、そこからずっと乗船しているであろう人もちらほら見かけた。基本的にインターネットが使えないので、サロンで読書をしている人が多い。(スマートフォンが完全に圏外になる瞬間は意外と少なくて、しかし非常に通信が遅く、圏外も変わらなかった)あと少し昔の映画の上映会もやってくれるので、穏やかに過ごしつつも退屈はしないのだろう。船は一番落ち着いた交通手段かもしれない。


 そうこうしているうちに下船の時間が迫ってきた。港に近づくにつれ行き交う船の数も増える。船尾デッキで鳥の躍動するさまを鑑賞していると乗組員の方が作業を始めて、日本の国旗を設置した。紺瑠璃の海で日の丸が潮風にあおられてはためいている。あ、カモメが魚をくわえて仲間に見せびらかしてる。船は、自動車が車庫にバック駐車するのと同じように、港内でクルッとターンして船首を沖に向けて接岸する。乗組員が陸側の作業員に投げ渡したロープを係船柱に固定すると、船がミシンのボビンのようにロープを巻き取ることで岸壁にじりじり船体が近づいていく。作業員がサーッと退避したのを見て、『ガラスの仮面』でマヤが船のロープに足を取られて大変なことになった回を思い出した。


 路線バスに乗って新潟駅へ。新潟駅は駅舎も駅ビルも新しく、大きな街なだけあっててとても立派だ。近隣の高校で運動会があったようで、運動着姿で連れ立って歩く学生たちが楽しそうだ。若者が楽しそうだと自分も機嫌が良くなってしまう歳になった。ホテルを予約するときに感じたのが、新潟市の宿泊料金は安いこと。どの部屋が当たるかわからんがお得ですよというプランにしたが、朝食付きで6,000円程だった。割り当てられた客室はみごとな窓一面の隣のビルの壁ビューで逆に笑ってしまったが、今回の旅はホカンス要素がないので問題ない。朝食は郷土料理がふんだんに用意され、おなじみ栃尾の油揚げにタレカツ巻き、のっぺ。小学校の給食に出ていたのっぺい汁って、もしかしてこれ?新潟は何を食べてもおいしく、特に栃尾の油揚げは居酒屋でも頂いた。


 今回は船に乗ってみることが一番の目的であったので、観光スポットについては何も調べないまま来てしまった。歴史ある建物を見るのが好きなので、豪商の別荘であったという旧齋藤家別邸に向かうべく路線バスに乗り込む。旅先ではチャンスがあれば地元の路線バスを利用することにしていて、というのも路線バスはその土地の勉強になるのだ。バス路線は基本的に駅・病院・学校・役所を結ぶように設計されており、15分も乗ればそこで暮らしている人々の生活の輪郭をなぞることができる。車窓からいろいろな工夫も見ることができるし、似た歴史を持つ土地どうしでも違いを発見することがある。


 旧斎藤家別邸では、解説員の方に勉強になる話をたくさん教えて頂いた。東京からお越しの男性と何となく一緒に話を聞く流れになり、3人それぞれの地元の話も交えて学びがある時間だった。建築も庭園も今なお手入れが込んでおり圧巻の一言。秋の紅葉が一番の見頃なのだそうだ。新潟市は意外と積雪がないので雪景色は非常にレアなんですな、ホラッ!と当時の写真も見せて頂いた。


 礼を述べて外に出ると6月らしくない日射しが強く降り注いでいた。ちょうど正午を告げる鐘がカトリック教会から響き渡り、鳥が一斉に飛び立っていった。この地域がおそらくかなりの高級住宅街と見え、コンビニやちょっとした軽食屋がない。バス時間まで半端で困りつつ、いつまでもその場に留まるわけにもいかずとりあえず歩くと料亭の入口に「カフェ営業中」とある。しかし趣のある門構えと庭園に気後れしてコッソリ覗いていたら、奥から和服を召された女性が歩み寄ってきて招き入れられる。通された洋室はかなり広く、西の壁一面がガラス張りで庭園を楽しみながら休めるつくりになっている。別邸の日本庭園とは異なって南国風の木々もあり、密集して生繁っているおかげで光が射し込みすぎず、非日常にどこか高ぶっていた神経が治まる気がした。室内の一角には由緒ある調度品が設えられていて、おまけに庭園を散策しても良いという。アイスコーヒーとバナナケーキの分の代金以上の、素敵な体験だった。


 帰りのフェリーの出航時刻は22:30だが、飛行機と同じように港には1時間前に到着して待機していないといけない。私は基本的に早寝早起きなので、21時に外に出ていることがまずなく、あちこち動き回って体力も消耗したので19時頃には既に眠かった。その時間帯のフェリーターミナル直通のバスはなく、少し離れた停留所から土産でパンパンのリュックによろめきながら歩く。夜の港にまばゆい光を浴びる白く大きな船は、なんだか夢みたいだった。うっかりエーゲ海あたりまで行っちゃったりしないかな。旅の終わりはいつも悲しくなる。


 22時過ぎに改札が始まり乗船した。復路は浴室とバルコニー付きの個室で、ホテルと変わりない設備に驚いた。すぐにシャワーを浴び、出発の汽笛とほぼ同時にバルコニーに出る。月がよく見える、晴れの夜だった。街の光から逃げるように暗闇に向かう船がかき分ける波が、月光に照らされて弱々しいきらめきを散らしている。明るくても暗くても、それは光には違いない。でもいつかはもっと巨大な光に追いつかれて焼かれてしまう。どうしてずっと夜じゃないんだろう…。


 朝日が昇るのを見たかったので、4時に目覚ましを設定したが、3時には起きてしまった。誰もいないデッキに走り、陸の向こうから橙色が顔を出すのを見届けた。いつかこの朝日の続きを旅しようと決めた。

2025/04/09

1月の東京と千葉

  東京はいつも少し気が張る。畏まった場に呼ばれたわけでもないのに、自分比150%の畏まり具合が必要な都市こと東京。あまりヘンテコな服はいけないと、タイトスカートにパンプスをよそ行きにすることが多いのだが、東京ならヘンテコでも薄まるんじゃないかと頭の片隅で考えることもある。それでも結局、新幹線の窓から見える景色から雪が去りつつあるのに比例して、気持ちが畏まる。

 友人から贈られたブローチを身につけて、都会的なカフェで落ち合った。ブローチに気がつくと彼女は破顔し、いつものように私の全部を褒めてくれる。全部だ。

 それなのに私は人を褒めるのが苦手なのだ。わざとらしくなってしまうから、何だか場がしらけるんじゃないかとか、社交辞令に思われてるんじゃないかとか、怯えが常にある。人と会った日の夜は、今日も全然何も伝えられなかった自分に失望することがあるくらいだ。でもこの日は、いくらか出来たように思う。


 私のリクエストで行ったベトナム料理店は、かなり人通りの多い場所ながら落ち着いていて、メニューも豊富で良い所だった。ベトナム料理はアジアの他の国に比べて辛すぎないので、いくらでも食べられる。友人が頼んだココナッツジュースが、椰子の実に穴を開けたものだったのには驚いた。心がトロピカルだ(?)。


 2日目はDIC川村記念美術館に行った。千葉県佐倉市のこの美術館は25年3月に閉めて、所蔵作品を減らした上で都内に移転するらしく、駆け込みの来館が大変増えているとのことだった。このとき八重洲に宿を取ったのだが、その八重洲から直通バスが出るというので計画を立てやすかった。

 一度バス停の前を通り、2人しか居なかったので素通りしてコンビニで水と梅を購入して戻ったら10人くらいに増えていた。親切な方が事前にXで教えてくださった通りに、20分前には並んでおとなしく待っていると、列はどんどん伸びて向こうの信号まで繋がっちゃうんじゃないかと思うほどだった。最終的に大型バス2台に分乗して出発。

 私が千葉県に足を踏み入れたのは中学校の修学旅行以来である。それもディズニーランドだ。親戚も住んでいる県なのに、千葉県のことをまるで知らない。1月の千葉県は春先の東北地方と景色が似ていた。


 天気が良くて風もそれほどないので、ベンチやテラスでお弁当を食べたり、芝生に寝転がったりしている人もいた。おそらくモグラが開けたであろう芝生の穴がポツポツ確認できた。来館者増により、素敵な敷地内レストランは完全予約制になっていて、代わりにキッチンカー等が来てくれているらしい。この日はお弁当屋さんがいて、昼前に着いたのでゲットできた。この日はとにかく並んで早い者勝ちのことばかりをしている。彩りが綺麗でおいしかったし、手描きの献立イラストが添えられているのが良かった。


 ロスコルームを目にして、Vanessa Carlton の『Afterglow』の歌詞を思い出していた 色が見える、暗い赤が…


 建物も庭園もあんなに手入れが行き届いているのに、もったいないことだ。都内に縮小移転ということは全く別の美術館になってしまうのだろう。時々DICの社員の方も遊歩道を歩いてらして、グラウンドやテニスコートもあるし、きっと福利厚生の側面もあるのだろう。美術館として完成されたひとつの形態であると同時に、維持が難しいことも容易に想像できる。

 いかにも都会的な、無機質な外観の洗練された美術館が悪いというわけではない。削ぎ落された中に囲われた収蔵品に美を見出すことはできる。でも私は美術館や博物館は豊かさと地続きであってほしいと祈っている。それは資本的な成功という意味ではなくて、豊饒さを抱えた何かである。世界が自分の手に負えないほど広いことなんて知っているのに、ずっと余白を探し続けている。死ぬまできっとそう。


 帰りは東京駅直通ではなく、佐倉駅までの無料送迎バスを利用したが、これも満員だった。なんだか電車に乗ってみたい気分だったので、JR総武線に乗ってみる。まだ冬から目覚めきっていない、淡い芽吹きの郊外の街がコンクリートとガラスの迷路になって左から右へ流れてゆくのを眺めていた。

 地元のビール屋さんに、両国におすすめのビールのお店があると聞いていたのを思い出し、両国で降りてみる。国技館にしか見えない建物があるし、スカイツリーにしか見えないタワーも見える。早い時間帯から開けている店で、人気店なので夕飯時には入れないこともままあるらしく、一番乗りでお邪魔してみた。遅れて常連らしい人や慣れた感じの人が席を埋め始める。すぐそばの国技館で行われている取組をテレビで観ながら、フィッシュアンドチップスなどをつまみながらビールをゴクゴク飲み干す。私は20時には帰宅していたいので、明るいうちから飲める飲食店があることが羨ましい。


 外に出たら空が夢みたいな色をしていた。水色とピンクの水彩画に、東京の骨組みを貼り付けたみたいな、そんな空だった。

2024/12/08

箱根

 箱根に行ってきた。あれほど名高い観光地であるものの、その名にちなんだ入浴剤のパッケージのイラストと、駅伝をテレビで観るぐらいしか接点のない、箱根だった。

 観光というよりも、ラリック美術館とポーラ美術館をメインに、天気次第ですすき草原を考えて宿を仙石原に取った。「知らない山で、閉じている」がテーマだったので、この選択はベストであった。
 仙石原はチェーン店が少しと、地元の小さな飲食店がポツポツ。路線バスはまめに走るので便利な土地である。観光地というよりは古くからの保養地としての性質が強く、住民と観光客の住み分けが明確な印象だった。民家や個人商店が並ぶ小道を抜けた途端に、生活感の薄い硬くつるっとした保養所や研修施設が整列している。山の中に都内の新築分譲マンションをいったん置いてそのまま忘れてしまったみたいな、半分嘘っぽい景色が広がる。”The Backrooms “とタグ付けされるタイプの動画をリアルに楽しんでいるかのような浮遊感があった。

 仙石原は羽田空港から高速バス1本で行けるというのが良かった。小田急ロマンスカーも捨て難い魅力があったが、キャリーケースを転がしながら新宿駅までの移動というのがハードルが高い。私はくまさんやうさぎさんがいる山で育ったので、ターミナル駅が怖いのだ。都内の鉄道を利用する時は、乗り換え回数が多少増えようが小規模な駅を挟むことさえある。あと単純にバスのことが好きなので、高速バスを選んだ。バスの窓に打ち付けられた霧の粒が集まって、滴になって流れていくのを3時間眺めていたら着いた。私はバスの窓を見ている。景色ではなく窓。

 宿はホテルコンドミニアムという形式で、開業1年未満のためとても清潔であった。全客室がかなり広めの作りになっていて、キッチンと洗濯機を備えた部屋を選んだため、旅行というよりは引越しをした気分だ。身ひとつで入居し、手配した荷物が届くのを待っている…大涌谷の蒸気が揺れるのをバルコニーから眺めながら…。洒落た建物は入口から芳香を漂わせている。花とミルクを混ぜたような香りにゲストを取り込んで、何か別のものにしようとしている。そして作り替えた何かを宿の外に放っているのだ。
 私は2泊以上の旅では洗濯をするのだが、コインランドリーの待ち時間が苦手だ。旅行中の貴重な1時間弱の間に何か用事を果たしたくても、帯に短し襷に長しというか、とにかく半端なのである。食事や入浴には短いし、かといって館内散策には長すぎる。部屋で大人しく過ごし、そろそろ終了かと様子を見にいくと残り10分もあったりする。あと洗濯中に着られる服が備品のパジャマしかない問題。選んだ客室にはパナソニックのキューブルが備え付けてあって、持参した洗剤(弱アルカリ性1回分、中性1回分、酸素系漂白剤2回分)で快適なランドリー・ライフであった。自宅にはとても置けないような立派な機種なのだが、これが初めてでも直感的に操作しやすくて良いものだなと思った。

 ところで私はかなり目が悪いのだが、最近の洒落た建築物について困るのが、暗いということだ。とにかく照明の光量を絞っていて、かつ内装も艶消し仕上げで反射がないため、わずかな光を建物が吸収してしまう。ゲストフロアの廊下は、客室ドアのキー部分にだけスポットライトが当たるように調整されている。雰囲気は好きなのだが、職業柄、実用性を気にしてしまう。掃除の時くらいは明るくするのだろうか…。

 まとまった雨は2日目朝まで、との予報は後ろにずれにずれ、まともな晴天は最終日だけであった。宿から徒歩すぐのラリック美術館は朝9時の開館ダッシュの勢いで楽しみにしていたが、雨雲レーダーにはずっと青色がへばりついている。植栽が雨に打たれるのを眺めながら、朝食の豆のスープを口にしていた。朝食で一番よく食べたのは、自家製ハムに地場産蜜柑のドレッシングをかけたもの。私は地元食材という言葉に弱い。あと野菜のグリルにベーグル。私はかすがこぼれるのが嫌で、パンは焼かずに食べる。

 ラリック美術館は、団体客とかち合ったために多少の賑やかさがあった。あらかじめ予約しておいたオンラインチケットで入館してから気づいたのが、紙のチケットという形に記念品が残らないということ。旅先の路線図やパンフレットや、美術館のチケットやリーフレットを取っておく用のバインダーがあるのだが、そこにそっと差し込むチケットがないことに、少しの寂しさがある
 企画展「ラリック×ダンス」の説明にニジンスキーの名があったのが訪問の主たる動機だが、結局いちばん印象に残ったのは、展示作品ではない、壁に埋め込まれた葡萄の意匠のガラスなのであった。淡く霧の中で形作られたような粒の葡萄を見つめていると、自分もガラスとエマイユでできているような気分になる。

 ポーラ美術館に寄るバスに揺られて、強羅の地形のダイナミックさに目を白黒させていた。とにかく傾斜がきついので常に身体が前のめりで、更にはヘアピンに次ぐヘアピンで頭を左右にブンブン振られる。私はこの道を自分で運転する自信はない。
 ここはとにかく建物が素晴らしいとの事前情報を持っていたが、実際に目にすると圧倒される。自然を活かした建築とはよく言うものの、これ以上のものはなかなか無いだろう。天窓から降り注ぐ光と雨。吹き抜けのなかを飛んでいるかのようなエレベーターの連続は、美術館というよりはデパートを思わせる。でも、地下だ。私は地下室に憧れがある。閉じている気がするから。

「フィリップ・パレーノ:この場所、あの空。」
 映像作品『マリリン』を2.5周した。0.5は、途中から展示室に足を踏み入れたからだ。この作品を文章だけで説明するのは私には難しく、備忘録として感想を記しておくことしかできない。
 ・ 自分の中にある実存主義的なものの見方をより補強した。客室からカメラが引き続けてスタジオ全景を映し出し、観客である自分を通り越して、中庭のあれが現れた時の「お迎えが来た」感。
 ・ これを見た日が雨でよかった。夢想は続く。
 ・ 映画『サイトレス』を思い出した。


 ポーラ美術館から出てもまだ雨は降り続いていた。どこか晴れ間を見つけて仙石原すすき草原のなかを駆け抜けるというミッションを設定していたのだが、これは諦めるほかなかった。傘も合羽も靴カバーもあるが、そういうことではないのだ。乾いた風に吹かれたすすきの穂がざわめいて、私を誘い込んで散り散りにしようとするのを見たい。雫に濡れて頭を垂れる穂を見たいのではないのだ。

 またいつかの秋に。

2024/10/12

旅のはなし

 年に2〜3回のペースで旅行をするようになった。旅行が趣味と言っても言い過ぎではないだろう。以前は「旅慣れている」と名乗る必要要件に、マイルがすぐ貯まるとか、パスポートの更新がn回目だとか、とにかくそのような判定基準を設けていた。でもきっとそんなのは実にくだらないことだと、最近になってやっと気づいた。

 交通機関の予約方法や、旅程を組むコツや(とにかく詰め込みはいけない。スタンプラリー的に名所巡りをするのは自分には合わないし、疲れる。なぜなら普段はタオルケットのにおいを嗅いでゴロゴロしているのだから…)、持参した方がいいもの、要らないものを、過不足なしに用意することができるようになった。

 私は、ひとつの交通機関あたりの移動時間が長いことはあまり嫌ではない。乗り換えが多くボーッとする時間がないと、疲れる。例えば路線バスに1時間乗るのと、都内で鉄道乗り換えを3回して総時間が1時間なのでは、圧倒的に前者だ。とにかくアイドリングタイムが必要な性分である。立ち寄ったことのない座標に物理的に身を置きながら、物質的な経験を取り込むことには消極的で在る。自分の存在感が無に近い瞬間を知覚した時に、高揚感に近い不思議なときめきが生まれる。

 これからは、旅行の良かったことを文章に記しておきたい。過去の旅行の良かった点はたくさんあったはずだが、当時の写真やSNS投稿を見返しても上澄みしか掬えず、もどかしい気持ちになる。

 砂の像は乾くと崩れ落ちて、ずっと砂浜だったみたいな、砂浜以外であった瞬間などないかのように横たわっている。

 風景、陽射し、気温、湿度、風速、肌の調子、脚の浮腫み、におい、味、眠気。

 情報そのものはGoogleマップや気象庁のホームページにアーカイブがあるが、その場所その時間その身体で何を考えたか、感じたか、それだけが私に必要なものなのだ。そのストックを増やし続けなければ、生きている意味がないとさえ感じる。

 この草むらを分け入った先で蔓に紛れたいとか、たまたま誰も通り掛からないだけの別荘地で世界から自分以外の人間が消えたような気分になったりとか、この崖から飛び込んでみたいとか、ホテルの壁の絵の連続に物語を見出したりだとか。

 私は今までもこれからもずっとひとりであるから、過去と未来の自分たちと仲間ではいたい。

2023/03/27

薄明り


 埃っぽい崖の下で横たわっている。頭ががんがんして、頬骨は左右の高さが違うし、右足首なんか変な方向に曲がってる。左足は感覚がなくて暗くてよく見えない。違うな、目がよく見えてないだけだ。


 なんでこんなことになってるんだっけ?いつもと同じように学校帰りに教会に隠れて、バレエ教室をサボって時間が過ぎるのをやり過ごしていただけだ。小さな、それでも確かで熱心な祈りに支えられた教会は、マリア像の口が裂けていた。


 踊ったり、飛び跳ねたりしている間だけは、すべてを忘れられたし、私は世界じゅうの時計の針を止めることができた。

 間違いなく私は幸福であった。


 でも、それは私がほしいものではなかったのだ



 崖の下で横たわっているあいだ、ずっとあなたのことを考えていた。小夜鳴鳥のさえずりが夕闇に消える。




2021/02/14

Many Words

言葉なんていらないと思ってたんだよ
言葉なんていらないと思ってたんだよ
言葉なんていらないと思ってたんだよ
言葉なんていらないと思ってたんだよ
言葉なんていらなかったのに

どうするんだっけ?
きみと言葉を交わしたいときは
どうしたらいい?
どうしたらいい?


Many Words - DROELOE

2019/07/12

おれたちはどう死ぬか?!

 どうしたらいい感じに死ねるのか?ということをよく考えている。昨晩寝床に就いてからそのことを考え始めたら頭が冴えてきて、500回くらい寝返りをうったし、トイレに3回行った。

 私はいつも死にたいと思っている。いや死にたくはないけれど、この「死にたくない」は「痛かったり苦しかったりするのはやだな〜」という意味である。例えば今ここで大型トラックが突っ込んできても「あれもこれも達成してない!誰かが悲しむ!死にたくない!」とは思わない。「ゲーッ、痛そ...」と、痛覚が少しでも鈍くなるようにお祈りをして、グチャグチャになる。

 どうしてそんなに生きるのが嫌なのかと訊かれても、そんなの知らん、気付いたらずっとこの気持ちで仕方なく毎日を過ごしているとしか答えようがない。30年近く生きてきて、途中に「死にた~い」が口癖の年頃もあったし、成長するとそういうのはあまりイケてないよなと気づき始めて言わないようにしたりした。根本的なところは何も変わらないけれど、口に出したってしょうがないらしいと理解するのだ。そして私は自分のうちに自分の帝国をつくり、そこでの独裁体制によって孤独を楽しみ過ぎた。死への魅力より生における倦怠感が上回ってしまっている。理由を掘り下げるときっと発見があるのだろうが、それが納得のゆくものである保証はないし、それどころか心が傷つくことさえある。抱える問題が大なり小なり、自分のうちに落とし所というのは存在して、それは理に適っているとも限らない。頭がよいけど要領は悪いひとや、優しすぎるひと、あと余裕がなさすぎるひとは理に首を絞められて殺される。私のような適当な人間はどれにも当てはまらず、きれいな色のロープで自分の首を絞めたり緩めたりして、繰り返してたらいつか痛くなくなって一瞬で終えることが出来るんじゃないかと期待している。そんなに暗くて悲しい話をしてるんではないのです。

 別に世のなかに絶望して厭世観モリモリなわけでもないし、極端に精神が繊細で生きづらいわけでもないし、砂漠の真ん中で孤立しすぎて死ぬしかないような状況でもない。生きている限り、健康や財産や人間関係や自尊心やその他をうまくこなしてゆく必要があるが、それらについて私はプラスの水準に引き上げる努力が難しい。

 いまの会社で病欠をしたことがないくらいには健やかだし、食べ物の好き嫌いもなくよく食べ、いちおう大学を出て会社員をやっている。まだひとを殺したこともないし、ひとの持ち物を盗んだこともない。ちょっとデカくてゴツいだけでちゃんと人間の見た目をしているし、気は利かないが真面目で素直なよいこだ。豊かで充実した生活をしているとは言えないが、さして悪いところはない。このままでいたい。このままがいい。

 しかしながら時は過ぎ、シワが増えたり速く走れなくなったりするので、それを補完するために年齢に比例して年の功パワーを養う必要がある。具体的にはお金をたくさん稼いだり、恋愛や結婚や子育てをしたり、ヘルシーな献立を意識したり、保険に加入したり、あとなんかカルチャースクールに通って社交的にふるまう。大人数で川原に集まりバーベーキューや花火などもする。

 でもそういうのが私にはかなりダルい。社会一般の水準よりもやる気がなさすぎるようなのだ。お給料が増えなくてもいいからいまの仕事量と責任で続けたいし、不摂生をしているわけではないのに大病をしたら仕方ないと諦めるしかない。あんまり事故には遭いたくないけど、運命と諦めることはできると思う。新しいことに触れるには知らない人間と仲良くする努力も必要だがめんどくさい。クヨクヨしたり向上心がないと言われたりするのは心が傷つくし、マイナスだ。少ない油を大切にして回り続ける歯車でありたい。進むにはエンジンが必要だけれど、エンジンを買って整備する金がない。ひとが努力をして100の成果をあげるときに、私は60くらいしか挙げられていないように思う。40を埋めるのが大変だから生きるのも難しいと言っているのではない。無理ではないはずの40をリカバーするためのやる気すら湧かず、60でじゅうぶんよくやっているよと寂しく自分の頭を撫でることに満足している自分にがっかりしているのだ。私は何と闘っているんだろう?

 だから私はゼロにしたくて、いい感じの死に方を考えている。

 でもそういう思想も希死念慮という言葉でまとめられちゃうの、私がとても繊細な人間みたいで誤解を招くし、誰かに相談などしたら腫れもの扱いをされるに決まっているので(ただ死にたいだけでヤケクソになっているわけではないので、生存している間は当たり障りなくやりたい)、こうしてインターネットに向かって書いている。そんなことのためにインターネットを使うんじゃないと呆れるひともいるだろうが、もっとひどい使い方のやつもいるんだからそっちを怒ってからこっちに来てくれ。できれば来てほしくないが…。

 まず、いい感じの死に方の条件は何か?という問題がある。死については、というかこれは生についても全く同じことがいえると思うが、社会・肉体の2つの側面がある。

 社会的な死はTODOにリストアップしておけば淡々とこなせる気がする。存在しない配偶者と結婚して存在しない新居に引っ越すことを想定するとつかみやすい。でも実際にはそんな相手も出来事も存在しないので、行動に移すまでのやる気のハードルが高い。自分のためだけにしか動きたくないけれど、その自分を適切に可愛がる方法をあまり習得できずに歳を取ってしまった。そもそもやる気がなさすぎて死にたいので、やる気を出すためのがんばりをいま考えているところだ。がんばりたくね〜。

 どうしても生きていくうえでは公的な設備の世話にならなければいけない。私が生まれた国では、手続きをしてお金を納めることで生活をさせてもらえることになっている。住居の確保により、寒かったり暑かったりの問題や、ものをしまう場所の問題を解決し、電気ガス水道により肉体を健康で清潔に保つことができる。お金があれば娯楽も楽しめるが、お金を得るには仕事をしなければいけない。もう2019年なのでインターネットがないと厳しい。幸いにして私はインターネットのことが大好きになったので、インターネット会社に登録してインターネット回線をひいて端末に繋いでお金を払ってインターネットをすることが嫌ではない。高いとは思うけども。何回インターネットって書くのか?あと誰でもひとつは銀行口座というものを持っていて、そこに色んなお金を入れたり、逆に使った分のお金を引いてもらったりする。あっちこっちに現金を運ぶのはイかれたやつに襲撃されて危ないからね、銀行を考えたひとはとっても頭がいい。でも銀行もたまに襲撃されて大変らしい。現金でないといえばクレジットカードというものがあって、1枚持っておけば色んなことができる。この仕組みがまたすごくて、後払いなのでお金がなくても欲しいものを手に入れることができてしまう。残念なことに世のなかワルやバカもおり、このズルっ子たちに都合よく利用されてはかなわんので、先に書いた他の例と同じく手続きが必要だ。責任のことはウザいと思うけど同時に大事だと思うし、ルールは守るだけじゃなくて守られるためにもあるのだ。サービスが便利になればなるほど、ものが大きければ大きいほど、享受しようとする人間には大きな責任が与えられ、社会性の鎧はガチガチに固められてかさが増える。でも死んでしまったら中身は空なのにデカくて重い鎧だけが残る。道端に5メートルくらいの蝉の抜け殻が落ちてたら邪魔だし嫌だと思うけど、蝉は飛び立ってしまってもう居ないんだから誰かが片付けなきゃいけない。そんなご迷惑をおかけしないためにも、死ぬ前に色々整理しておくべきだ。

 まず仕事を辞める。職場においていちおう頭数に入っているので、いきなり失踪したり死んだりしたら業務に穴を作ることになり、大変なご迷惑だ。ロッカーの遺品整理とか誰もやりたくないし、そこそこの年数勤めているので馴染みの取引先に説明することもあるかもしれない。そんなのはいい死に方ではない。死ぬやつ後を濁さずである。私はいつ何時でも仕事を辞めたいのですぐに取り掛かることができるが、フワッとした理由だと引き止められてなかなか辞められないらしい。まあでも私はどちらかというと無能なので惜しまれることも考えにくく、トントン拍子に進むだろう。ポンポコリンでよかった。ちゃんと菓子折りなどを持参して、めんどいので送別会などは丁重にお断りして、たぶんちょっとだけ支給される退職金を頂いて、グッバイ・フォーエバーだ。ただし退職時期も慎重に見極めねばならない。あんまり早いと残りの生存期間が延び、生活費がかかって困るのは目に見えている。すべての社会契約を解き、なおかつ走馬灯を手動で回し、そして実行に移すまでおおよそ3か月かと推測する。

 いま入居しているアパートも解約しなければいけない。賃貸物件で死亡した場合は事故物件という瑕疵をもたらすことになり、ついでに大島てるというホームページで火のマークを付けられて紹介される。条件のわりには格安で住まわせてもらっているのに、そんな不義理はできない。契約期間満了のかたちで退去を申し出るのが自然で誰も損をしない。契約書を確認したら出て行くひと月前には教えろと書いてあるので、そうしよう。私はまめに清掃をするほうなので、今まで入居した賃貸住宅で修繕費用を求められたことはないが、自分でも気付いていないキズ・汚れを指摘される可能性もある。それらもきちんと支払ってこそ死ぬ資格があるというものだ。大家さんの手を煩わさないためにも、引き続き自宅を清潔に保ち、丁寧に扱う必要がある。

 アパートを引き払うにあたって、電気・ガス・水道・光回線の手続きを済ませておく必要があり、これは退去日と同日に設定しておけばよい。これらは貸与品であって自分の持ち物ではないので、返却という形で手放すことができる。問題なのは、明確に所有物とみなされるものの処理だ。物理的に身体に近いものほど終わりまで必要になると私はみていて、そのなかでもスマートフォンは生涯の尾先の部分までともに行動することになると思うが、ひとつ問題に気付いた。解約をキャリアに申し出る必要があるが、その月の2か月後に最後の代金引き落としが行われるはずである。基本的に月額料金というものは後払いのシステムであるが、おそらく電話契約がいちばん締め日から支払い日まで長い気がする。プレ死として全ての銀行口座の閉鎖を検討しているが、死の直前にそれを持ってくるとしても、3か月ほどインターネットを手放した状態で過ごさなければならない。それはいやだ。死ぬ前にも迷子になってグーグルマップを見るだろうし、天気予報だってチェックするし、YouTubeで好きなマッシュアップを聴いたりしたい。ウ〜ンウ〜ンって悩んでいたが、いまはレンタルWiFiというのがあるらしい。借りる期間も決められるし、ポスト投函で返却もできるらしい。死ぬ前に郵便局に寄っておけば大丈夫です。世のなかよく出来てるね。レアメタルの希少性についてはずいぶん前から知っているのに、実は初めての携帯電話からずっと歴代の端末を手放していない。そのためそれらすべてをレアメタル集め屋さんに持ち込む必要がある。あと私はアホなのでレアメタルのことをいつもメアレタルって言ってしまう。関係ない話でしたね。

 そして肉体的な死についてだが、これが最大の問題だ。すべての死にたいマンも悩んでいることは同じだろう、とにかく痛いらしいのだ。私がこれまでの人生で一番「痛った〜い」と感じたのはゴルフクラブで顔面をブン殴られたときだ。「ぐ、ぐるじ〜っ」は小学生の頃に道に生えてる草を食べて高熱と謎の発疹で2週間寝込んだとき。3年くらい前にも頭痛と目眩と嘔吐と下痢がいっぺんにやってきてしかも3日続いたことがあって、あれもかなり辛かった。縦にも横にもなれず、座椅子を利用して斜めにしてトイレのドアの前で休んでいた。せっかくの連休だったのに外はものすごい大雨で、激しい雨音が響くボロアパートで悪夢にうなされ、ちょっとよだれも垂らしていた。あれ何だったんだろ?どれも痛いし苦しいし二度と経験したことがないが、私は生きているので、つまり死に至るにはこれより過酷な経験が待っているのだ。死にたくね〜。


 死に方にもいろいろあって、物理的な衝撃によって身体を損壊させる方法、血液や酸素などを減少させることで生命維持を妨げる方法、あとは毒物などでダメージを受ける方法だ。なるべく苦痛が少なく、金もかからず、肉や骨の処理が楽なやり方がいいと思う。トレンドの高所からの飛び降りや鉄道への飛び込みは、居合わせた人間に危害が及ぶおそれがあり、交通機関にも多大なご迷惑をおかけし、あとそんなもん見せられても困ると容易に想像できる。これらをご検討中の死にたいマンはやめたほうがいい。

 私がよく考えるのは、林にあらかじめ穴を掘っておいてそこに棺桶をはめ込み、何らかの方法で絶命+棺桶閉まる+土がかぶさる…の仕掛けだ。大学のアメリカ映画の授業で観たもので、男が銃に撃たれてゴロゴロ転がってそのまま棺桶に納まったシーンがあった。何で棺桶があったのかとかそういう流れは全然覚えておらず、隣にいた友人に「スタイリッシュ埋葬」とか呟いたりしてかなり寒いし不謹慎だった。

 どんなにエンジニアばりにデスゴラスイッチを考えても、いちばんの課題は「痛いのは嫌」なのだ。これを乗り越えないかぎり未来はない。あんまり痛くなかったよ!成功したよ!って方法があったら教えて下さい。

 ほんとうは安楽死を合法化させるのがいちばんの方法だと考えた時期もあったけれど、社会は表向きは人間を死なせないようにしているし、少子化だ何だと言っている日本では成立しないだろう。私は死にたいけど基本みんなはあまり死にたくないもんね。仮に私が国会議事堂前でプラカードを掲げて安楽死させろーッ!て騒いでたら景観に悪いし、あと一般市民はびっくりするし、偉いひとも嫌な気持ちになる。あとで書くけど「迷惑をかけない」ことも重要だと思うので、念願叶って成立しても「でもあのとき色々迷惑かけたんだよな…」って過程に落ち込むに違いないので、これもだめ。あと単純に公安に目をつけられて暗殺されるかもしれない。暗殺されたことないから想像だけど、たぶん怖い思いをさせられた上に時間をかけて惨たらしい方法で執り行われる。痛いのは嫌だからこの議論が始まっているのにこりゃだめだ。悲しくて悔しくて成仏できなくてメチャ強い地縛霊になって第2ラウンドがスタートしてしまうので困るし、この場合はあらかじめ霊媒師も手配しておかなければいけない。でもこの霊媒師も公安の関知するところとなるのか?日本の警察は優秀だからもうこっちを見てる可能性もあるな。

 自分の希望だからといって何でも押し通そうとするのはわがままだ。世のなかを変えるのではなく、自分を世間のルールにフィットさせるという選択肢もある。安楽死が認められている国へ行くというのもひとつの手だ。私は海外渡航の経験がないので当然パスポートを所持しておらず、まずは手続きをしてパスポートを発行してもらう必要がある。お役所のホームページで調べたら、5年使えるもので11000円も取られるらしい。こっちは経済的に豊かではないということも死にたい一因なのに何でそんなにお金を取られなきゃいけないんだ、焼肉に2回行けるがや。なので国内で死ぬことにする。

 警察だってもちろん覚悟はあるだろうが、遺体の処理を頑張りたいです!血まみれの現場のエキスパートになりたいです!って志望するひとはいないと思う。というかそんな動機はだめだし、どちらかというとそんな状況を未然に防いでほしい。いろいろ書いてたらどうでもよくなってきちゃったな。自分が死ぬための話をしているのに、どうして他人の理念に思いを馳せてしまっているのだろう。自分の理念よりも重要度が低いはずなのに。こんなんだからすぐに死にたいとか考えるんだよな。

 前の秋からこれを書き始めているのに、全然実行に移せていないし、平成が終わってしまっていた。私はグズ、誰からも軽んじられるゴミ、心がこんなにねじくれてしまってもうだめ。もう眠る。

2018/05/01

Oceans



あなたがほしい
わたしのものになって
あなたを求める日々は
ただ過ぎてゆくだけ
触れられたらどんなにすてきか
あなたのことがほしい
愛がからだの奥からわきあがる

いつかみたいに
海がふたりのあいだに広がっている
何でもない顔をして
感情を押し殺して、繕っていても
それでも海はある

このわたしたちのあいだに横たわっている



あなたがほしい
ずっとそう思ってしまうんだろう
あなたに相応しくできたらよかったのに
ねえ、どう、あなたにはわかる?
わたしなんて水底に消えてしまう
あなたのいないところでもがく力もなく

なのに何で引きずりこもうとするの



海が広がっているような気さえする
ここに




Seafret - Oceans

2018/03/17

3週間目の薔薇

 枕に付いているほうの耳だけはいつも温かく、じんわりと湿り気を帯びて寝床に溶け込もうとしている。塩素のにおいが日射しをうけてふくらむ夏休みのプールで、耳に入った水を呼ぶためにプールサイドに頬を寄せたときのこと。こぽこぽ。その領分を再び空気へと明け渡すべく、出口を求めて水が耳のなかを伝う。そうして別れの挨拶を告げるかわりに、耳介をほんの少しだけ温めてゆく。

 夏のことなど全然好きではないのに、郷愁という言葉によって呼び起こされる情景はいつも夏だった。冷えたつま先を擦り合わせて数え切れぬほど寝返りを打つその季節は冬にもかかわらず。夢はいつも真実のふりをして後ろに横たわっている。

「どうしたの?眠れない?歌をうたう?」

 あなたが話しかけるから眠れないんだよ。



 自宅でおとなしく縮こまっているとき用の、ウールの靴下とレッグウォーマーを衣装ケースにしまった途端に冷え込んだので、また引っ張り出して着ている。それでも照る日射しは春だった。

 極端に悪い天気でなければ、掃除をするとき私は窓を開けることにしている。灯油ストーブの運転による水分を逃がし、掃除機が押し出す微細なほこりを外に押し出すためだ。居室の大窓を網戸ごと開き、対角にあるキッチンの窓も開いて通り道を作る。少し風があったので、黄色いバラを生けた瓶が倒れぬように部屋の隅に移動させ、重さのあるガジュマルの鉢はベランダに出してそよがせた。みどりがやさしく揺れている。私はその日はじめての口づけを幹に与えた。

 ふだんのルーティンに加え、ハッカ油を混ぜたスプレーを片手に家じゅうをまわる。キッチンに吹き付けると爽やかな香りが弾ける。あちらこちらの幅木や桟に薄く積もったほこりを除く。押し入れから衣装箱を取り出して、毛羽立った木目に絡んだほこりを一掃し、引き戸を開けたままに春の風を送る。いまは冬の終わりと春の始まりのどちらだろうか。

 浴室は昨晩に綺麗にしてあるので、折戸の枠を雑巾でひと撫でするだけだ。

 玄関をざらつかせる砂を箒で掃き出し、いくつか靴を並べて検分する。洗ったほうがいいスニーカー、クリームを塗るだけでいいパンプス、革に傷が見て取れるので簡単な補修が必要なブーツ。作業は匂うので玄関ドアを開け放したままで、ワイヤレスイヤホンから流れる音楽の向こうで路線バスのエンジン音が聴こえていた。

 いつの間にか一度目の洗濯は終わっていた。冬のにおいを抱え込んで、静電気でもって何かを拒絶するようなしぐさを繰り返した分厚い毛布も、洗濯機にかかればただのやさしい生地だった。ベランダに張った洗濯紐に引っかけて、風にさらわれぬように固定する。

 動きどおしとはいえ、さすがに手足が冷えていた。ストーブの電源を入れて、家じゅうの窓をひそりと閉じ、ハーブの香りの石けんで手を洗った。きょうは図書館への返却は迫っている本を読み切らないといけないのだ。

2017/11/10

 秋のことをいつも見逃してしまいがちなので、私のなかの秋に繋がる心象のストックはほかの季節に比べて少ないように思う。例えば実りの秋とは言うけれど、私はどの季節の食材も好きであるし、別に秋だけが収穫を独り占めしているわけではない。ただ何となく赤く寂しい季節、それが私にとっての秋だ。

 街じゅうが赤茶に化けて息をひそめる準備をしている。アパートの窓から園庭が見える距離にある大きな神社も、足元は枯葉が芝を覆って、自分のスニーカーの白がひどく浮いている。低木の小さな葉が燃えるような赤に色づいて、背の高い、落雷で幹が割れた杉の深緑と見事な対照であった。神獣の像をあしらった石畳の橋を渡り、欅並木を横切って、ごつごつした小路をひそひそと進む。午後三時に日は傾く。ふいに雷鳴が轟いて、風が駆け抜けて枯葉をさらっていった。萎びた紫の紫陽花のふりをした雀が一斉に飛び立つ。あたたかい夕暮れを忘れられない雲が、その腹の裂け目からオレンジの光をこぼしていた。

(風が吹いただけなのに立ち尽くしてしまうようなとき、ヘルマン・ヘッセの『旋風』のを思い出す)

 あちこちの料理屋が仕込みをしているにおいがうっすら漂っている。葱をのせ放題のラーメン屋の裏を通ると香る薬味は、いつもよりも純な気がした。ビルのあいだの忘れられてしまった庭に鬼灯がうつむいている。季節外れの朝顔は街でいちばん鮮やかだった。

2016/06/24

世界じゅうの三月を焼き尽くす

 それまでの会話の内容から、何がどうなって生死なんて高尚な話になったのかなんて覚えていない。彼女と会ったのは、アップルパイを渡すためだった。彼女は僕の作ったアップルパイをたいそう好んでくれるから、嬉しくて僕はいつも張り切って焼くのだ。シナモンの香りがパイを入れた箱から漏れている。彼女が押す自転車のカゴにおさまったそれは、かたかた揺れるたびに紙の合わせ目から逃げ出してゆく。もう七年も乗っているという自転車はあちこち錆だらけで、チェーンはすっかり茶色くなって回るたびにキイカラ音を立てているし、カゴの網目なんか前の底のほうが鋸でも入れたみたいにぱっかり離れている。カゴというよりは箱型の金網と呼ぶべきかもしれない。それは、アップルパイを包んだ真っ白な箱を、けなげに抱えているのだった。

 アップルパイと、カスタードクリームの話をしていたはずだった。コレステロールが気になるから卵は一日一個と、若いのに妙に所帯じみたところのある彼女は、さてこのデザートは一日あたり何切れまで口にしても差し支えないか、なんて計算を始めたのだった。



 土手沿いの道をふたりで歩く。薄いオレンジの太陽を僕から隠すように、彼女は西側に立っている。三か月も放っているので嵩の多い彼女の髪が赤く透けて風に吹かれているのを見て、一度だけ彼女が頭髪検査で咎められた時のことを思い出していた。遠くから汽笛の音がよく響いているから、明日はきっと雨なのだろう。地平線に近付いてゆく太陽の少し冷たいオレンジを辿って東の空へと首をぐるりと向けると、青味がかった灰色が沈んでいるのが見える。試験管の底に沈殿した石灰のような、粉っぽくぱさついた色をしていた。

「生きるというのは、いまこうしてあなたと喋っていることとか、息をしたり身体を動かしたりということじゃないね。何ていうの、それは現在の事実であって・・・ひと続きの時間の流れを意識してるわけじゃないでしょ」

 まだ肌寒いというのに、彼女は手袋をせずにいた。血行の悪い手の甲がうっすらまだら模様になっている。

「生きる、って生命活動してるってことじゃなくて、前向きな、意欲みたいな意味がひっついてると思うんだ。過去はこうだった、未来はこうしたい、じゃあ今はこうするべき、みたいに」

 彼女とは付き合いが長いのに、こういった話をしたことがなかった。生と死については答えがないのだろうし、もっともこんな会話は進んでなされることなんて滅多にない。いつもそうだ。生という枠組みにはめ込まれたあらゆる事柄によって、24時間、365日は満たされてしまう。満たすために、24時間、365日を過ごす。溢れてしまった先のことは、知らぬふりで。



 ふいに彼女が歩みを止めたので、僕も倣って立ち止まる。彼女は僕に自転車のハンドルを預けて、腰を屈めて足の甲の上の何かを摘まんだ。ポプラの綿毛が靴からのぞいたタイツに引っ掛かっていたのだった。親指と人差し指の腹で綿毛を挟んで擦り合わせるとみるみるうちにボリュームが失われてゆく。潰された綿毛が付いた指先をダッフルコートで拭い、彼女は目だけでハンドルを返すように言うので、その通りにする。そしてまた歩き始めた。

「冬が終わるね」

 渡り鳥が隊列を組んで西から東へ飛んでいくのが見えた。鳴き声ひとつたてず、どことなく不格好な隊列を保ち続けて青灰色へと飛び込んでいく、あの鳥たちにもきっと名前があるのだ。

「わたしは」

 スニーカーのひもが緩んで、足を踏み出すたびに紐の端がぬかるみに触れて染み始めていた。ほどけてしまいそうだ、家に帰ったらすぐに洗わないといけないだろう。この川沿いの土は頑固でなかなか落ちないから。

「私は死ぬよ、あなたが思ってるよりずっと早く、もしかしたらみじめに醜くなって・・・何だか、生きるのも死ぬのも難しいって思う。終わりがちらついてくると、ね、歩くのもしゃがむのも辛いような気がするもの」

 西の空は薄いオレンジから紫を帯びたピンクに染まっていて、きっと東の空はもう底無しの闇色をしているのだろう、そちらには目を向けずに考えた。夕暮れの薄紅は、彼女がいつか枯らしてしまったバラの花にとてもよく似ていた。



「ねえ、どう、あなたにはわかる?」





2016/06/07

2011年の4月



夜の地震に驚いてロフトの梯子に足をひっかけたまま落ちた
あちこち打って痛い、梯子の段に挟めた足が熱い、いま思えばヒビくらい入っていたかもしれない
もうロフトの寝床に戻る力がなかったので、底冷えのする床に伏せて朝が来るのを待った
右足を引きずっている、金がないので病院はいけない、仕事もしない一人暮らしでよかった、変な歩き方を見られないように夜中に動けばいい
夜はいい、姿が見えないから何でもできる、あの垣根に顔を突っ込んで沈丁花の花の匂いを嗅ぐこともできる
自分は怪我をしないほうだと思っていたんだけど、背中の傷はずっと赤黒いままだし、膝にはいつも火傷の跡か擦り傷がある
醜い
右の手の甲の痣はなんであるんだっけ


(iPhoneのメモはいつも苦々しい)

2016/04/13

お知らせ


少し前の話になってしまいますが、ウェブ文芸誌 casssis vol,5 リリースされています。ほぼ季刊ペースで、5回を数えるまでになりました!にこにこ!既刊をお読み下さっている方はご存知でしょうが、特にテーマや形式を定めているわけではなく、様々な文章が集まっています。ひとつひとつの作品が骨太でいつも嫉妬を覚えると同時に、casssis という名のもとにひとつに纏められると、緩やかな化学反応が見えるように思えて、首ねっこのあたりがビリビリします。

ぜひ皆様お読み下さい。



それから、5月5日に東京ビッグサイト コミティア116 にて刊行されます 別冊ZOO に参加させて頂きます。企画に参加するたびつねづね思っていることですが、誠に畏れ多い...とうとう紙になってしまうなんて...。その名の通り、動物/動物園をテーマとした本になっておりまして、Twitter の豪華メンバーの皆様が参加されています。私もとても楽しみです。ヒヒヒ...

ご都合のよろしい方はコミティアへ足を運ばれて下さいね。ぜひ!

2015/12/05

イソラ

「あの子はね、夢を叶えるためには何でも犠牲することができるの。それこそ力の限りに。ポールトゥガールにレッスンに通い、でも家はホーフトドルプ、つまり移動が大変ってことね」

「いつも朝の5時から6時くらいの間に起き出してくるんだ。早いだろ!そして帰ってくるのはずっと遅い」


「夢が叶えばいいなって心の底から思ってるの。あの子が望むなら私たちは何だってする。どこにだって連れて行ってあげるし、おいしいものを食べさせてあげて、愛でも何でも、何だってあげられる。この子のためなら何だってできる」

2015/10/16

レメディ

 「実はこの地球上のどこでも雨が降っていない瞬間というのがおよそ12年に一度の割合であって、そのとき歴史はどんなふうにめぐるのだと思う?」

 Amazonで化粧水を4本注文をした。愛用している、菫色の色水が古めかしい香りとともに硝子壜に閉じ込められているその品物は、私の知る限りではこの街の薬局のうちに一軒しか取り扱いがない。じきに雪も吹き荒ぶだろう季節のめぐり、陽光の手引きで湿った土のなま暖かいにおいが立ち上る春までの、暗い雪道をあの薬局まで歩くことなど考えられない。あと複数の硝子壜に自転車のカゴは向かない。

 学生の頃はあんなにAmazonを利用していたのに、今ではサインインのたびに久しぶりだなと思う。本、CD、あと何か、私の手元には残っていないであろうものたち。今思えば、あれは便利なシステムを使ってみたかっただけなのだ。それがどうしても欲しくてたまらなかったなんてことはない。

2015/09/25

casssis vol.3

web文芸誌『casssis』の第3号がこのたびリリースされました。何と今回は序文まで書いております。個人誌ではないのに内容がいささかパーソナルすぎたかしら...と思いつつも、まあ何です、ぜひご覧下さい!

casssis vol.3

早いもので、もう3号になります。お誘い頂いたときは嬉しかったけれど、果たして私が締め切りを守れるのか(じっさい余裕あるスパンで設定してもらってますが)、書き続けることができるのかという不安はありましたが、環のなかに飛び込んでみると案外うまい具合にめぐるものですね。本当に良かった。みなさんありがとう。


2015/09/24

ぶどうの実

 例えば秋服が必要かもしれないとか、街路樹が夏なんて忘れたという色をしているかもしれないとか、季節はそんな風にいつだって理由になりうるのだった。住み始めて8年になるこの街はいまだに余所の街であって、千度歩いた道も決してお馴染みにはならない。

 その昔に城下町であった県でいちばんの高級住宅街を、やや錆の目立ち始めた自転車でとろとろと走りながら、冷えた木の幹のにおいが混じり始めた風を浴びていた。時間が無限に感ぜられた、いや、時間ばかり有り余って困っていた学生の頃には夜な夜な散歩をしに歩いた町は、ちいっとも変わっていなかった。きっとそれは私がそこを知る前から、生まれる前から、もう数百年そのままなのだろう。そしてこれからも。



2015/08/23

祝福と呪い

 その日は左足のかかとに靴擦れを作ってしまったので、右足の指先でその水ぶくれを撫ぜながら眠りに就いたのだった。もしかしたら、所有を解かれようとしているその皮膜のなかの物語だったのかもしれない。
 起伏に富んだ地形をした、自然が豊かな場所だった。それはマチュピチュのようであったし、ワールドカップの特集番組でよく流れた、ブラジルの風景を空撮した映像にもよく似ていた。干からびて粉っぽい泥岩が転がる谷は、荒い岩肌を晒してそびえ立ち、その切っ先はまっすぐに空をめざしている。同じく空のふもとには文明らしさに満ちた都市が広がっている。摩天楼さながらの高層ビル群、いくつもの街を繋ぐのはゴールデンゲートブリッジそっくりの大きな橋だった。そこに車はなく、人々がひしめき合って行進している。鼓笛隊の格好をした黒人、Tシャツにジーンズの子ども、立派なスーツの紳士。彼らの身なりも人種もてんでばらばらで、ひとりぼっちで迷い込んだようなのもいれば、どこか大学のスポーツチームのような、揃いの服を着た騒がしいグループもいる。ただ彼らは何ものかに静かにとり憑かれて、等しくひとつの方向に進み、引きずられていた。
 私はそんな彼らを窺いながら、曲がりくねった山道をひとり上っていた。あちらは陽がきびしく照りつけて地面もすっかり水分を失った色をしているのに、こちらはじっとりとした霧雨だった。霧があまりに深いので、建物とその番人に気づくのが遅れたくらいだった。はたして彼は友人の父親であった。数年も会っていない彼は私の適当な想像らしく、頭に白髪を増やし、目の下に薄い隈を作っていた。彼は何も言わずに私を建物へ案内した。霧の奥に細い煙突の影が浮かんでいる。そこは火葬場であった。
 火葬場の手前には豪華絢爛極まりない装飾の施されたお堂があり、そこで足を止めた。派手なお堂とは対照的に、庭には砂利を引いてあるだけで何とも素っ気ない。その庭にはいくつか死体が横たわっていた、というよりも打ち捨てられていたとの表現が似つかわしいだろう。足元にいる女性らしき身体は裸足で、雨で白いかかとの皮膚がふやけていた。私の後ろを通り過ぎてゆく老婆の二人組が言った。「いずれああなる」。雨粒でも消えない線香のにおいが強くなった気がした。
 ここまで何ひとつ言葉を発しなかった友人の父がおもむろに石を拾い上げ「これを持っておくとよい」と手渡してきたのは、小さなブーメランの形をした薄い灰色の石だった。それを受け取ったかどうかは覚えていない。
 ふもとに降りビル街に進む。道路は冠水しており、徒歩ではなく水流に任せて移動をするというルールらしかったので、何となく流れていたら唐突に街がぶっつり途切れており、市民たちは滝つぼへ吸い込まれていった。滝を真っ逆さまに落ちてゆく途中、水の向こうに足場が組まれていてヘルメットをかぶった作業員がせかせか働いているのが見えた。「心の奥にインビジブル・ライフ」と垂れ幕に書かれているのを目で追いながら、たっぷり10階分は落下したように思う。
 私も周りの人間たちもみな無傷で、そのまま明るいトンネルを流されることとなった。進行方向の右側に水面から伸びる石段があり、それは壁際のドアに通じており、それらは10メートルおきに設置されている。トンネル内に備え付けらえた非常電話のようだが、あれはこんなにたくさん設置しておくものではない。流されているうちに、そのドア付近には女性たちが立つようになった。彼女たちはみな淡い若草色のロングドレスに身を包み、流れに飲まれている私たちのほうへ手を伸ばしているのだった。彼女たちは占い師なのだという直感が私にはあったが、何故だか感じる忌まわしさの正体はわからなかった。
 そのうちある女性の顔に意識を縫い止められたかのように目が離せなくなった。同じまとめ髪、ドレス、伸ばされた手。これまでの人生のうちで絶対に出会ったことがないとはっきり言えるほど、その顔は具体的すぎた。夢の世界では追いつけないような、細密な形質の描写…ああ、これは夢だ。でも彼女はきっとどこかに実在するんだろう。
 彼女の口が大きく横に引き伸ばされて、ニタリと笑った。祝福と呪い、そんな顔をしていた。

2015/07/17

casssis!

第2弾が出ましたのでぜひご覧下さい。


http://casssis.tumblr.com/

2015/07/13

僕たちがまだ

 僕たちがまだ両手の指にも満たぬ歳しか生きていなかったころ、ほんの数度しか夏を経験していなかったころ。夏が底抜けに眩しくて、甘い乾草のにおいを肺いっぱいに吸い込むと、反射的に目の奥から涙がにじみ出して、日焼けで傷んだ肩の皮膚がひりつく。日射しに貫かれて自分まで光になったような錯覚に陥るのだ。
 目玉は前にしか付いていないから、その背がどんなに暗い影を背負っているのか、気付くことなどない。